PTA解散のニュースが流れた。私はついに始まったと思った。20年ほど前に我が子が通学する学校で「PTA解散」を訴えたことがあった。あれから20年。東京都杉並区立和田中学校がPTA解散を決めた。子どもたちの保護者で、保護者と教師の会、いわゆるPTAがあってよかったと思ったことがどれだけあったのだろうか。PTAのすべてを否定したわけではなく、保護者だけの会ならあっても可と思いながら、小中学校で通算5年ほどPTAの役員などをやりながら本来の在り方をみんなで考えようとした。最後の期は儀礼的に授与される感謝状を家まで持ってきてくれたが記念品と一緒に返した。
杉並区立和田中学校 http://www.wadachu.info/toppage.php
■ 子ども人質論
PTAの加入の意志も確認せず会費を徴収するシステムに、だれも異論を唱える方はいなかった。税金と一緒と思うしかなかった。保護者として物言うことができる体制ではないのが学校だ。学校や教師への願望があっても我が子の成績表はやはり気になる。教師は学校を変わることができるが、私立学校の少ない地方では生徒は学校を選ぶことは現実不可能である。そのための転居は最終手段である。つまり、親にとってみれば子どもを人質に取られたようなものだ。本当に教育行政に物言えるPTAなら良かったのだが、行政、学校、教師の下請団体にすぎなかった。
■ 先生を○○さんと呼べるか
PTAの組織は保護者と教師がそれぞれ会費を支払って会を成している。同じ会員であるゆえに対等の立場であることにだれもが気付いていない。会長とか各委員長という職責はあるものの同じ会員という意識がない。さん付けで呼び合いながら話をしてみると会議は本音を語り合うことになる。堂々とさん付けで呼び合う会ならPTA解散にはならなかったはずだ。
■ 物言える人が必要
生徒が人質になっている以上、物言える外部の人が必要となってくるのは当然だ。PTAが解散しなくても、教師抜きの保護者と地域の方々で構成することで本来の役割は十分に果たせる。それがこれからのPTAだろう。PTA名士は必要でない。通学路の防犯ボランティア、本の読み聞かせボランティア、ゲストティーチャーと学校の在り方も少しずつ変わっているのに、PTAだけが先生と母親の会になっている現実を反省すべきだろう。